2009年07月07日
NBAに挑戦!田臥勇太を追いかけよう!
こんにちはポジカル白井です。
またまた久しぶりのブログになりました。
最近は営業シーズンで毎日アポイントと企画書作りに大忙しでした。
関西を元気にする会ジュニア会に参加したり、多くの経営者とお会いしたり、
東京へ行ったり、OKwaveの兼元社長の講演行ったりと、
とても充実した毎日を過ごしています。
そんな中、昨日ふとNHKをつけると田臥勇太の特集をやってました。

田臥勇太とは日本初のNBAバスケットボールプレーヤーです。
その彼が再度NBAにチャレンジすると言う内容です。
私が彼を知ったのは彼が前人未踏の高校3年間で3年連続3冠をねらっている3年生の
京都総体だったと思います。
バスケに興味が合ったわけでは無いのですが、大学を卒業してスポーツが好きという安易な理由で、
スポーツ小売業に就職していた私の周りにはバスケ好きの人も多く、いろいろ教えてもらいました。
そんな中、京都で高校総体が開かれ、出張販売に会場に行ったときにたまたま、バスケットボール会場に
私は行きました。
そこで、目を奪われたプレーヤーが田臥勇太だった。
彼はバスケをやるには小柄の173センチですが、とてつもないスピードとテクニックでゲームを支配していた。
彼のプレーで会場は大歓声!
もちろん京都総体も優勝し、高校バスケの3大体会で3年間すべて優勝し、前人未踏の9冠を手にして卒業した。
そんな彼がNBAに初挑戦したのは2003年。NBAの選手になるに何度もキャンプと言われるセレクションに
勝ち残らないといけない。
何度かキャンプは勝ち残ったが、最後のキャンプで脱落した。
日本NO.1の田臥はNBA選手にはなれなかった・・。
その後、一人アメリカに残り、下部リーグで経験を積み続けた。
その結果、2004年に念願のNBA選手として登録!デビュー戦を華々しい結果でかざり、
NBA田臥勇太が誕生した。
しかし、その後結果を出せず、1ヶ月で解雇。
それからまた、経験を積むためアメリカに留まったが、NBAに戻ることは無かった。
そして、帰国・・。
日本NO1田臥勇太は日本に帰国したが、居場所は無かった。
日本では五十嵐圭という新しいヒーローが生まれていた。
しかし、アメリカでもまれた田臥は様々なチームを転々をするが次第にその実力を発揮し、
今年全日本メンバーの中心選手となった。
しかし、NBAは諦めていない。
田臥中心に全日本チームはまとまり、東アジア選手権に挑むことになった。
そこへ、田臥の元へ一通の手紙が・・。
NBAへの登竜門ミニキャンプの招待だった。
神のいたずらかミニキャンプの日は東アジア選手権の日程と同じ日。
今まで一緒に頑張ってきた全日本か?
夢だったNBAか?
田臥はNBAを選択する。
そしてアメリカへ
今まで一緒に頑張ってきた全日本メンバーは複雑な気持ちだったと思う。
それもわかった上で田臥はNBA挑戦をした。
結果は・・・
キャンプ前の合宿でまさかの怪我。
キャンプ地にはやってきたが、プレーはしなかった。
もちろんそのまま脱落。
普通なら怪我してでもやれるだけややった方がいいと思う人もいるかもしれない。
でも、田臥の決断は正しいと僕は思う。
NBAに入ることが目的でなく、プレーすることが目的だから。
無理をして怪我を長引かせるより、完治して挑戦したほうが「やれるべきとをする」ことだと思う。
プレーできないのは田臥が一番つらいのだろう。
まして、全日本のメンバーを捨ててきたのだから。
そのあとも田臥はアメリカにのこり、キャンプのチャンスを望む。
テレビドラマならすべてを捨てて挑戦する田臥はNBA選手として活躍する結末になるんだろう。
でも、現実は違う!
現実は厳しい。
特に勝負の世界ではプロセスより結果がすべて。
田臥は今まで本当に頑張ってきた。
それは誰もが認めること。
でも、NBAで活躍するという結果を残せなかったら今までの努力が「無」になる。
それが、真剣勝負の世界だと思う。
田臥にはどんな泥臭いプレーでもいいからNBAで活躍してもらいたい。
ドラマのようにきれいでなくてもいいので、結果を残してもらいたい。
昨日のテレビを見ていて彼は結果にこだわっているのがひしひしと伝わってきた。
真剣勝負だ。
私はまだ新米経営者なのでレベルは違うが、会社経営も同じようなものだと思う。
プロセスより結果がすべて!
プロセス頑張っても結果が出ないのはプロセスが間違っていたに違いない。
なので、結果がすべてなのだ。
竹刀ではなく、真剣で戦っているような感覚がある。
大きくしくじると明日は来ない。
田臥も大けがをすると明日は無い。
そんな思いで昨日のテレビをみていました。
田臥を応援しよう。
またまた久しぶりのブログになりました。
最近は営業シーズンで毎日アポイントと企画書作りに大忙しでした。
関西を元気にする会ジュニア会に参加したり、多くの経営者とお会いしたり、
東京へ行ったり、OKwaveの兼元社長の講演行ったりと、
とても充実した毎日を過ごしています。
そんな中、昨日ふとNHKをつけると田臥勇太の特集をやってました。

田臥勇太とは日本初のNBAバスケットボールプレーヤーです。
その彼が再度NBAにチャレンジすると言う内容です。
私が彼を知ったのは彼が前人未踏の高校3年間で3年連続3冠をねらっている3年生の
京都総体だったと思います。
バスケに興味が合ったわけでは無いのですが、大学を卒業してスポーツが好きという安易な理由で、
スポーツ小売業に就職していた私の周りにはバスケ好きの人も多く、いろいろ教えてもらいました。
そんな中、京都で高校総体が開かれ、出張販売に会場に行ったときにたまたま、バスケットボール会場に
私は行きました。
そこで、目を奪われたプレーヤーが田臥勇太だった。
彼はバスケをやるには小柄の173センチですが、とてつもないスピードとテクニックでゲームを支配していた。
彼のプレーで会場は大歓声!
もちろん京都総体も優勝し、高校バスケの3大体会で3年間すべて優勝し、前人未踏の9冠を手にして卒業した。
そんな彼がNBAに初挑戦したのは2003年。NBAの選手になるに何度もキャンプと言われるセレクションに
勝ち残らないといけない。
何度かキャンプは勝ち残ったが、最後のキャンプで脱落した。
日本NO.1の田臥はNBA選手にはなれなかった・・。
その後、一人アメリカに残り、下部リーグで経験を積み続けた。
その結果、2004年に念願のNBA選手として登録!デビュー戦を華々しい結果でかざり、
NBA田臥勇太が誕生した。
しかし、その後結果を出せず、1ヶ月で解雇。
それからまた、経験を積むためアメリカに留まったが、NBAに戻ることは無かった。
そして、帰国・・。
日本NO1田臥勇太は日本に帰国したが、居場所は無かった。
日本では五十嵐圭という新しいヒーローが生まれていた。
しかし、アメリカでもまれた田臥は様々なチームを転々をするが次第にその実力を発揮し、
今年全日本メンバーの中心選手となった。
しかし、NBAは諦めていない。
田臥中心に全日本チームはまとまり、東アジア選手権に挑むことになった。
そこへ、田臥の元へ一通の手紙が・・。
NBAへの登竜門ミニキャンプの招待だった。
神のいたずらかミニキャンプの日は東アジア選手権の日程と同じ日。
今まで一緒に頑張ってきた全日本か?
夢だったNBAか?
田臥はNBAを選択する。
そしてアメリカへ
今まで一緒に頑張ってきた全日本メンバーは複雑な気持ちだったと思う。
それもわかった上で田臥はNBA挑戦をした。
結果は・・・
キャンプ前の合宿でまさかの怪我。
キャンプ地にはやってきたが、プレーはしなかった。
もちろんそのまま脱落。
普通なら怪我してでもやれるだけややった方がいいと思う人もいるかもしれない。
でも、田臥の決断は正しいと僕は思う。
NBAに入ることが目的でなく、プレーすることが目的だから。
無理をして怪我を長引かせるより、完治して挑戦したほうが「やれるべきとをする」ことだと思う。
プレーできないのは田臥が一番つらいのだろう。
まして、全日本のメンバーを捨ててきたのだから。
そのあとも田臥はアメリカにのこり、キャンプのチャンスを望む。
テレビドラマならすべてを捨てて挑戦する田臥はNBA選手として活躍する結末になるんだろう。
でも、現実は違う!
現実は厳しい。
特に勝負の世界ではプロセスより結果がすべて。
田臥は今まで本当に頑張ってきた。
それは誰もが認めること。
でも、NBAで活躍するという結果を残せなかったら今までの努力が「無」になる。
それが、真剣勝負の世界だと思う。
田臥にはどんな泥臭いプレーでもいいからNBAで活躍してもらいたい。
ドラマのようにきれいでなくてもいいので、結果を残してもらいたい。
昨日のテレビを見ていて彼は結果にこだわっているのがひしひしと伝わってきた。
真剣勝負だ。
私はまだ新米経営者なのでレベルは違うが、会社経営も同じようなものだと思う。
プロセスより結果がすべて!
プロセス頑張っても結果が出ないのはプロセスが間違っていたに違いない。
なので、結果がすべてなのだ。
竹刀ではなく、真剣で戦っているような感覚がある。
大きくしくじると明日は来ない。
田臥も大けがをすると明日は無い。
そんな思いで昨日のテレビをみていました。
田臥を応援しよう。
Posted by posical kidd at
18:24
│Comments(6)